1.概要
多くの関係者への取材を基に書かれた門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を実写映画化。世界を震撼(しんかん)させた東日本大震災による福島第一原子力発電所事故発生以降も現場に残り、日本の危機を救おうとした作業員たちを描く。『64-ロクヨン-』シリーズなどの佐藤浩市、『明日の記憶』などの渡辺謙らが出演。『沈まぬ太陽』などの若松節朗がメガホンを取り、ドラマシリーズ「沈まぬ太陽」などの前川洋一が脚本を務めた。(yahoo映画より引用)2.あらすじ
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震が発生し、それに伴う巨大な津波が福島第一原子力発電所を襲う。全ての電源が喪失して原子炉の冷却ができなくなりメルトダウン(炉心溶融)の危機が迫る中、現場の指揮を執る所長の吉田昌郎(渡辺謙)をはじめ発電所内にとどまった約50名の作業員たちは、家族や故郷を守るため未曽有の大事故に立ち向かう。(yahoo映画より引用)3.あの時私たちが直面していた危機
3.11東日本大震災発生あの時私たちは自分たちが避難することに精一杯だった。
関東圏内でも震度5弱~6強を観測、リアルな身の危険を感じて皆戦々恐々としていた。
テレビで地震情報を見ていると東北地方の津波被害の映像が流れ、
今回の災害の甚大さを痛感、追加の被害情報から目が離せない状況の中、
「福島第一原発」の事故情報が流れてきたのである。
その時私たちのほとんどは「この事故がどれくらい深刻なものなのか」理解できていなかった
ともすれば東日本全体がヒトの住めない土地になってしまっていたかもしれない
そんな日本という国の存亡がかかった「あの時間」を私たちはもう一度「体感」し、後世に語り継がなければならない。
この映画は全日本人、全世界の人類が「福島第一原発事故」を再認識するための完璧な資料であり、誰かに伝えるための教科書なのである。(迫真)
4.津波による全電源喪失 ステーションブラックアウト(SBO)
原子力発電は核分裂により発生する膨大な熱を利用してタービンを回し発電する方法だが、この「熱量」というのはガスコンロのように人間がツマミ一つで簡単にコントロールできるものではない一度反応が起きれば収まるまでに時間がかかるし、その間冷却をし続けなければどんどん温度が上昇して溶け出してしまったり、ガスが充満して格納容器が爆発してしまう。
それゆえに非常時には対応マニュアルが用意され、あらゆる不測の事態に対応できるよう準備がなされているはずだった。
しかし想定をはるかに超える「大津波」により主電源、非常用電源を失い、原子炉を制御するための冷却水を送る「ポンプ」が動かせなくなってしまった。
それだけではなく、計器類、照明に至るまで「全電源」を喪失したのである。
それがどれほど逼迫した状況なのか、原子炉を間近でコントロールする「中操」の面々のドラマで体感してもらいたい。
彼らは暗闇の中、原子炉建屋に突入し手動での「ベント」を行う
放射性物質の線量が高く、入っただけで被爆する。
原子炉建屋内は私たちが日々生活する中ではおよそ味わうことのない「恐怖の空間」である。
建屋内の様子の再現度や役者の皆さんの迫真の演技で、それがどれほどの恐怖であったかが伝わってくる。
伊崎当直長(佐藤浩市)がベントへの志願者を募った際、
「自分が最初に行く、誰か後に付いてきてくれる者はいないか」
と問うシーン
皆が涙ながらに手を挙げ、「自分が行きます」と。
実はこんなシーンは日本の映画ではよく見るのである。
アルマゲドンとかでも見たことがあるシーンだ。
しかしそれらとは何が違うかといえば、この映画は「ノンフィクション」だということだ
原作者:門田隆将氏は多くの当時の関係者に取材し生の声を記録に残しているし、
何よりこの事故はわずか9年前に起きた出来事であるから、当時の様子がまだ色あせておらず、こんなハリウッド映画のワンシーンのような話は、本当にあったやりとりなのである。
心なしか役者さんたちの演技も「本当にあった会話」であることから感情の入り方が違うようにも見える。
確かに、実際のエンジニアの方々の様子を思い浮かべながら演じたら、演技でない本当の涙も出そうだ。
死を覚悟して日本を救おうとした人たちの姿が、十分すぎるほどに伝わってくるシーンであった。
5.吉田昌郎所長とFukushima50
福島第1原子力発電所の所長である吉田昌郎氏「彼はあの事故で何と戦ったのか」
発電所の職員、協力会社の人たちがどんな状況で奮闘したのか
吉田所長は現場のトップで事故対応の指揮を行っていたわけだが、
東京電力本店や政府(官邸)が要所要所で「保身」や「事なかれ主義」により適切でない指示を挟んでくる。
さらには現場が紛糾するなかでの「総理訪問」である
吉田所長はそれら一つ一つと戦いながら事故とも戦っていた
この映画を見るとあの逼迫した状況でこれだけ多くのものと戦い抜けるなんてどんな人物なんだと思う。
こういうシーンも日本の映画ではよく見るのである
特に戦争ものなんかでは必ずあるシーンである。
日々命懸けで戦う兵隊さんならばそれくらいの胆力を持ち部下思いになることもあるのかもしれない。
部下からの人望も厚くなるのも頷ける
しかしこれはわずか9年前に本当にあった出来事なのだ
私たちが生きるこの時代に本当に実在した人物だ
少なくとも自分の身の回りにこれほどの人物はいない
むしろ東京電力のような大企業の上司であれば保身や事なかれ主義で部下に負担を押し付ける人ばかり
およそその上司のために命を懸けるような自己犠牲の精神なんて身に付かなそうである
2号機のベントが難航し、いよいよ爆発がいつ起こってもおかしくない、という状況下
爆発が起これば東日本全体が死の土地となってしまう
その状況下で最も危険な場所に最後まで残った50人を世界は「フクシマ50」と呼び、称えた。
「彼らは何故自分の命を危険に晒しても残ることが出来たのか」
世界の人々にはそこが理解できないという
彼らは
日本を救うことが自分の使命であり、
フクシマを守ることがひいては自分の家族を守ることになる。
そんな精神で一人一人が戦ったのだという。
フクシマ50を観て、
今まで映画や小説などで見てきた
「日本人の自己犠牲の精神」は実在したのだと初めて確信できた
フクシマで戦ってくれた人たちに私たちは感謝しなければならないし、自分がその役割となったときには、同じように命懸けで自分の責務を全うしなければならない。
この映画を観たら、明日からの自分の行いに対しても、一つ一つ襟を正して取り組めることができそうだ
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